2020-03-10 第201回国会 参議院 財政金融委員会 第3号
少なくとも、この話は極めて歴史の長い話ではありますけれども、幸いにして日本の場合は、アマテラスオオミカミというのは女性の神様で、これが一番偉い神様ですからね。
少なくとも、この話は極めて歴史の長い話ではありますけれども、幸いにして日本の場合は、アマテラスオオミカミというのは女性の神様で、これが一番偉い神様ですからね。
しかし、私どもの、いわゆる古事記等々を読めば、少なくとも、アマテラスオオミカミという女性の神様が、機織り小屋から出でたまえ、神々はいかにしておわすぞと天の岩戸をあけたまい、高天原を眺むれば、神々は野に出て働いていたと古事記に書いてあります。少なくとも、女の神様が機織り小屋から出てくれば、一番偉いアマテラスオオミカミも機を織って働いていた。
天皇即位の儀式を五月と十月に二回行うというのは、三種の神器の授受によってアマテラスオオミカミ以来の皇統を継ぐ践祚の儀式と、大嘗祭の神事と結んで日本国の統治権を継ぐ即位の儀式という二つの儀式を行うためであります。儀式全体が天皇主権と国家神道に貫かれているもので、憲法の国民主権と政教分離の原則に反するものだ、天皇の代替わりに伴う儀式は、国民主権と政教分離の原則にかなったやり方で行うべきであります。
明治憲法のもとで、天皇は現人神であり、天皇の地位は、アマテラスオオミカミの意思、つまり神勅に基づくものとされ、その権威に基づいて、天皇は統治権の総攬者であり、国家権力の全ての作用を一手にしておりました。これぞ天皇主権の国家体制です。 日本国憲法第一条は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
じゃ、この皇祖皇宗とは何かと、「勅語衍義」を読むと、「天祖天照大御神ノ詔ヲ奉ジ、降臨セラレテヨリ」、「神武天皇ニ至リ」、「神武天皇ノ即位ヲ以テ國ノ紀元ト定ム」と記しているわけですけど、私はアマテラスオオミカミや神武天皇が日本の始まりというのが日本の正規の歴史だということは一切習ったことがございません。
これは、いわれによりますと、アマテラスオオミカミの孫であるニニギノミコトとその奥さんとされますコノハナサクヤヒメの陵墓だということになっております。現在は、皇族の墳墓であると考えられるが、いわゆる被葬者が確定できない陵墓参考地ということで、宮内庁の管理になっておるわけでございます。
アマテラスオオミカミは、スサノオノミコトが目に余る乱暴を働いたときに、相手を責めたりせずに、みずからが岩戸に引きこもることで相手に反省を促すんですよ。そういう意味をもってすれば、今までの日本の外交スタンスというのは非常に日本人的であると言えると思います。が、これは、良識ある日本人同士に通じることだと思うんですね。
日本では労働は罰ではありませんから、そういった意味では、私どもは労働は美徳として、少なくともアマテラスオオミカミですら機織り小屋から出てきて機を織っておったわけですから。そういった特殊なものではありますけど、こういった歴史は大事にしながら日本という国をやっていくと、私は平野先生、そんなに悲観的なものではなくて、将来、私どもはきちっとした形でこういったものに対応できる。
新嘗というのは、その年に収穫された新しい穀物をなめる、食するということで新嘗祭だったわけで、五穀の収穫を感謝する一年で最も大切な行事だったわけですが、これはもう非常に歴史も古くて、古事記ですと、アマテラスオオミカミがやったと書いていたり、非常に古い伝統です。 この日は、陛下はもちろん、全国の農山漁村、神社などでその年の収穫をお祝いしてきた。
でも、農家の代表として、伊勢神宮にアマテラスオオミカミが祭ってあって、稲作なんですよ、大事なことだから、昭和四十年からずっと毎年毎年、農水大臣、それから食糧庁長官、局長、それが日本の農家を代表して五穀豊穣を神様に願う、そういった謙虚な気持ちで参拝をしているわけですが、どうして行かれなかったんですか。
アマテラスオオミカミの神勅にも、稲作が続く限りこの国は繁栄すると書かれております。水田は日本の美の象徴ですし、お米は日本人の主食です。主権国家は自国民の食料を自国で賄えなければ主権国家とは言えず、三九%の自給率で主権国家と言うことができるのか、他国に食料安全保障をゆだねるというのは、私は根本的に誤っていると思っております。
戦前、戦中の反省はわかるにしても、改めてこの法改正を契機に、ぜひ、国旗・国歌の、建国のいわれ、いわゆる卑弥呼、聖徳太子は書かれていても、アマテラスオオミカミ、天孫降臨のニニギノミコト、神武天皇のことが全く建国神話として書かれていないということはどう考えてもおかしいのではないかというふうに感じております。
いや、アマテラスオオミカミならば伝統的神社宗教の根源でありますし、まあ、明治神宮だとか日光の東照宮であるというようなことは、かなり近代の、これも意図的ではございます、徳川家康が自分で神社をつくれと言ったんですから。今や文化財にもなるような豪華な神社をつくったわけですね。 祭神が、国事に殉じた戦死者、これが神になっているわけですね。それをお参りになられるということはどういうことなんですか。
教えがあると、それはアマテラスオオミカミとかそれから皇室と結びついていますから、皇室の繁栄をというようなことをいいますけれども、それ以外はほとんど問題がないわけです。 一番傑作なのは、選挙のとき、私はやりませんけれども、地方議員、市会議員などがやるときに、民主党の候補者の中にそれぞれ神主さんが来るわけですね。そして、おはらいをするわけですね。神様、大変だろうなと思う。
○土肥委員 では、教師があるいは神社側のどなたか、神主さんが、これはこういう神社ですよ、こういう歴史があるんですよ、そして恐らく日本の歴史の発祥、歴史かどうかわかりませんけれども、アマテラスオオミカミから始まって三種の神器や何かの御説明をされた、あるいは教師がした。これは宗教教育にはならないんですか。
これは、アマテラスオオミカミが孫のニニギノミコトを高天原から下したもうときに、要は命令を出すわけですけれども、有名な言葉です。「豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫就きて治せ。さきくませ。宝祚の隆へまさむこと、当に天壌と窮りなかるべし」という言葉があります。
小泉総理に長く居座られると、閻魔大王だけが威張り散らし、あの温かくあまねく国民に愛と光を降り注ぐアマテラスオオミカミは岩戸からなかなかお出ましにならないことになります。つまり、それは、日本が悪くなるばかりで、そして国民は不幸になるばかりだということです。国民を不幸にする内閣は要らないのです。
考えてみれば、明治憲法では、主権はアマテラスオオミカミの神勅に基づいて天皇に与えられたものとされていたのです。ですから、世界の水準になかったということがはっきり言えると思います。 現行の日本国憲法は主権が国民に存することを宣言し、これは人類普遍の原理であると明記いたしました。
委員の先生方に申し上げませんけれども、これはアマテラスオオミカミが天の岩屋に入って、出てくるというその場面でございます。非常にどぎつく書かれているのですよね。だから、これは中学生にふさわしくない、教科書にふさわしくないというふうに思っているし、それからこれはセクシュアルハラスメントでないか、それに当たるのではないかというふうに思うのです。そういう意味で私は問題にしているのですね。
もう壊れる寸前、あるいは壊れて、図書館に行って休んでいたんだということでございますが、私はその話を聞きまして、神話で、天の岩戸にアマテラスオオミカミが隠れて、そしてタジカラオノミコトはだれですかね、中谷防衛庁長官ですかね、それで出てきたような気もするのですが。
しかも、そのときにはわざわざ断りも入れて、特定の神ではない、アマテラスオオミカミでもキリストでも日蓮でもだれでもいいから、お互いに大切にしている神様を尊重し合いましょうということを学校現場で教えてはなぜいけないんだろうかというのが一番あのときの森総理の発言の私は趣旨だったと思うんです。 憲法二十条では宗教教育というものは禁止されています。
総理が列挙されている神様、仏様、アマテラスオオミカミ、神武天皇、親鸞、日蓮、こう列挙されていますが、それぞれどういう関係にあるとお考えになっていらっしゃるのですか。